北海道・北東北の縄文遺跡群ー2
青森エリア
三内丸山遺跡

青森県青森市大字三内字丸山にある縄文時代(約5900~4200年前)の大規模な集落跡の遺跡です。
この地に遺跡が存在することは江戸時代から知られており、1623年の弘前藩の日記に多量の土偶が出土したことが記されています。
集落には住居、墓場、捨て場、大型掘立柱建物、掘立柱建物、貯蔵穴、粘土採掘穴、盛土、道路 等が計画的に配置されています。
遺跡から出土した栗のDNA検査の結果、栽培されていたことが分かり、さらにクリ、クルミ、トチ といった堅果類、エゴマ、ヒョウタン、ゴボウ、マメ といった栽培植物も出土しており
これらのことから、自然物の採取のみではなく、集落周辺にクリ等を植樹し、食用の植物の栽培もおこなわれていた可能性が考えられています。
小牧野遺跡


青森県青森市野沢字小牧野にある縄文時代後期中盤の遺跡で、荒川と入内川に挟まれた台地上、標高145m付近にあります。
古くから存在は認知されていたものの、調査はなかなか行われずにいましたが、1,980年代前半に葛西励氏によって発掘調査が行われ、続縄文時代の遺物が発見され認知度が高まりました。
その後、1,985年の調査では土器等が発見され、1,989年には青森山田高校の考古学研究会(顧問:葛西励・高橋潤)によって直径55mにもおよぶ環状列石が発掘され有名になりました。1,990年には青森市教育委員会の調査で竪穴式住居、湧水遺構、墓、道路状遺構などが発見されました。
是川遺跡(これかわいせき)


青森県八戸市字是川中居にある縄文時代晩期の遺跡で、是川石器時代遺跡とも言います。
新井田川沿いの標高10~30mの丘の上にある本遺跡は、縄文晩期の中居遺跡、縄文前期・中期の一王寺遺跡、縄文中期の堀田遺跡の3スつの遺跡の総称として「是川遺跡」と呼ばれています。
一王寺遺跡は、長谷部言人(はせべことんど)氏による円筒土器命名の地であり、山内清男・喜田貞吉による縄文土器の年代の下限をめぐる論争「ミネルヴァ論争」の元となった遺跡でもあります。
亀ヶ岡石器時代遺跡


青森県つがる市木造にある縄文時代晩期の集落遺跡です。
津軽平野南西部の丘陵先端部に位置し、遮光器土偶を模ったモニュメント背後の湿地帯からは数多くの遺物が出土しています。
本遺跡は1,622年い津軽藩の二代藩主・津軽信牧が亀ヶ岡城を築こうとした際、土器や土偶が出土したことで発見されました。
地名の亀ヶ岡は「瓶(かめ)が見つかる丘」に由来すると言われています。江戸時代には本遺跡からの出土品が好事家に喜ばれ、遠くオランダまで売られたものもあり、1万個を超える完形の土器が勝手に発掘され持ち去られました。
田小屋野貝塚


青森県つがる市木造にある縄文時代前期~中期の遺跡です。
1棟の竪穴式住居跡と、日本海側では数少ない貝塚、円筒土器や石器、骨角器、土製品、貝輪などが出土しています。
ベンケイガイの出土が多く、一説ではこの地で作られたベンケイガイの貝輪が北海道へ持ち込まれたとされています。
大森勝山遺跡


青森県弘前市大森勝山の岩木山北東に位置する、縄文時代晩期初頭の環状列石を主とする集落遺跡です。
環状列石としては最も新しく、環状列石の構築過程を明らかにし、その年代や性格についての新知見が得られた点できわめて重要な遺跡です。
本遺跡では、環状列石は77基の組石によって構成される長径48.5m短径39.1mの楕円形の環状列石1基と、長径13.77m短径12.8mのほぼ円形の竪穴式住居1棟が確認されました。
縄文時代晩期初頭に属する環状列石としては初の事例であり大型の竪穴式建物が発見されたこと、それらの遺存状態が良好だったことから注目を集めました。
先に記述した通り、環状列石としては最も新しい遺構であり、丘陵の整地から石の設置に至るまでの過程が初めて明らかになったことや
環状列石周辺で集落として一定期間の居住が行われたこと等、従来の環状列石の年代や性格について、新たな知見を得ることができました。
これは、北海道南部から東北北部に分布する縄文時代後期初頭の大型環状列石との関係性や、それらの展開・変遷を踏まえた当該地域の縄文文化の実態解明に繋がる特徴としてきわめて重要です。
二ツ森貝塚

青森県上北郡七戸町にある縄文時代前期前葉~中期末葉(およそ5,500~4,000年前)の、貝塚を伴う集落遺跡です。
青森県最大の面積(およそ30ヘクタール)の遺跡であり、東北地方でも最大級に属します。
集落は縄文時代当時は入江であった高さ30mの高原に位置し、北斜面と南斜面の2つのエリアに分割された複数の貝塚を持ちます。
竪穴建物や貯蔵穴、人骨、装具が多数出土しており、大規模集落であったことが分かります。
犬を丁重に埋葬した跡があり、人と犬が当時から密接な関係にあったことが分かる貴重な発見や、この地方には普通は無いヒスイや黒曜石も出土しており、他地域と交流・交易が行われていたことが分かっています。
大平山元I遺跡(おおだいらやまもといちいせき)


青森県東津軽郡外ヶ浜町にある旧石器時代終末期から縄文時代草創期の遺跡です。
本遺跡から出土した縄文土器は世界でも最も古いものの一つではないかとされています。
縄文土器に付着した炭化物の放射性炭素年代測定法による測定で、15,500~16,500年前のものである可能性を示しています。
また旧石器時代のものと思われる石鏃(いしの矢じり)も世界で最も古いものです。
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