百舌鳥・古市古墳群‐古代日本の墳墓群‐-3
応神天皇陵古墳(誉田御廟山古墳)

誉田御廟山古墳(こんだごびょうやまこふん)又は、応神天皇陵古墳(おうじんてんのうりょうこふん)は、大阪府羽曳野市誉田にある全国第2位の規模の巨大古墳です。
宮内庁により、「惠我藻伏崗陵(えがのもふしのおかのみささぎ)」として第15代応神天皇の陵とされています。
もともとあった二ツ塚古墳を避けるように造られたため、内外の濠が歪んでいます。
二ツ塚古墳


応神天皇陵古墳の陪塚とされる前夫後円墳で、応神天皇陵古墳の外濠に食い込むような位置にあります。
このような位置関係から応神天皇に非常に近しい人物が埋葬されていると考えられています。
誉田丸山古墳(こんだまるやまこふん)


墳径50m、高さ7mの円墳で、応神天皇陵古墳の陪塚とされています。
墳丘の北側にそって窪地があることから、周濠があったと推測されており、墳丘の斜面には葺石と思われる石も観察されています。
墓山古墳(はかやまこふん)


応神天皇陵古墳の陪塚とされる前方後円墳です。
全長約225m、後円部径約135m、高さ約20.7m、前方部幅約153m、高さ19.3mで墳丘は3段構成となっています。
向墓山古墳(むこうはかやまこふん)

応神天皇陵古墳の陪塚とされ、墓山古墳の東側に接して造営された方墳です。
古市古墳群のほぼ中央に位置しており、東辺68.0m、西辺62.0m、南北両辺62.0m、高さは10.0m前後で、古墳時代中期の方墳としては最大級の規模に属します。
台地の先端部分の斜面に寄せかけて構築され、実際の規模よりも大きく見せています。
仲姫命陵古墳(なかつひめのみことりょうこふん)


仲姫命(応神天皇の皇后)陵古墳(なかつひめのみことりょうこふん)又は、仲ツ山古墳は応神天皇陵古墳の北東に位置し、全長は290m、後円部径170m、高さ26.2m、前方部幅193m、高さ23.3mで、古市古墳群で2番目、全国で9番目の大きさを誇ります。
応神天皇陵とされる誉田御廟山古墳の一世代前の古墳であることから、仲姫命ではなく、応神天皇の父である仲哀天皇の陵墓とする説もあります。
宮内庁が仲哀天皇陵に指定しているのは、後述する岡ミサンザイ古墳ですが、
そちらは5世紀末の築造とする説が有力誌されており、仲哀天皇が在位したとされる年代との間には100年近い隔たりがあります。
仲哀天皇陵古墳(ちゅうあいてんのうりょうこふん)


仲哀天皇陵古墳、又は岡ミサンザイ古墳は古市古墳群の西端に位置する巨大前方後円墳で、規模は全国16位です。
第14代仲哀天皇の陵墓と宮内庁によって指定されていますが、先述したように年代にずれがあり、考古学的には第21代雄略天皇陵とする説が有力視されています。
允恭天皇陵古墳(いんぎょうてんのうりょうこふん)


允恭天皇陵古墳、又は市ノ山古墳は墳丘長227m、前方部の高さ23.3m、後円部の高さ22.3mの前方後円墳です。
宮内庁により第19代允恭天皇陵に治定めされていますが、実際の被葬者は判明していません。
津堂城山古墳(つどうしろやまこふん)


二重の濠に周囲を囲まれる前方後円墳で、外側の濠は、今では宅地や田畑となっていますが、これを含めると全長400mとなります。
宮内庁により、緋想候補者:第19代允恭天皇の陵墓参考地として治定されています。
白鳥陵古墳


白鳥陵古墳、又は軽里大塚古墳(かるさとおおつかこふん)は墓山古墳の南に位置し、全長約190m、後円部径約106m、高さ約20m、前方部幅約165m、高さ約23mで、古市古墳群で7番目の大きさです。
実際の被葬者は判明していませんが、宮内庁によって日本武尊(ヤマトタケル)の陵に治定されています。
古室山古墳(こむろやまこふん)


3段構築の墳丘で、墳丘長150mの前方後円墳です。
4世紀末~5世紀初頭の築造と推定され、前述の津堂城山古墳と同時期の築造とされています。
大鳥塚古墳(おおとりづかこふん)


3段築成の後円部、2段築成の前方部を持ち、墳丘長110m、前方部の幅50m、高さ6m、後円部の直径72m、高さ12mの前方後円墳です。
築造時期は仲姫命陵古墳と同時期とされており、巨大前方後円墳(大王墓)に次ぐ規模の大型前方後円墳として、当時のヤマト王権の政治階層を示す古墳となります。
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