百舌鳥・古市古墳群‐古代日本の墳墓群‐-2
竜佐山古墳(たつさやまこふん)


仁徳天皇陵古墳南側外濠の近傍にあり、仁徳天皇陵古墳の陪塚とされる帆立貝形古墳です。
墳丘は、長さ61 m、後円部径43 m、後円部高さ8 m、前方部幅26 m,前方部高さ2 mで、発掘により幅10 mほどの周濠が確認されていますが、現在の濠は復元されたものです。
収塚古墳(おさめづかこふん)

仁徳天皇陵古墳の前方部南東隅付近にあり、仁徳天皇陵古墳の陪塚のひとつと考えられている帆立貝形古墳です。
前方部は削平され周濠も埋没し、現状は直径35m、高さ4m程の墳丘だけが残り円墳のように見えますが、近年の発掘調査により、墳丘長60m前後、後円部直径が40m以上の帆立貝型古墳と判明しました。
築造年代は、出土品などから5世紀中頃と推定されています。
旗塚古墳

百舌鳥古墳群の中央部付近にある帆立貝形古墳です。
墳丘は2段、くびれ部に約12.5mの幅で外方へ約3m張り出す造り出しを持ちます。
濠は盾形にめぐり、周囲に幅3.4mの堤が存在する可能性が高いと思われています。
孫太夫山古墳(まごだゆうやまこふん)


仁徳天皇陵古墳の外濠の近傍、竜佐山古墳の東側に位置する前夫後円墳で、仁徳天皇陵古墳の陪塚と考えられています。
墳丘は、長さ65m、後円部直径48 m、後円部高さ7.7 mで前方部の輪郭や濠は埋没保存されています。
発掘調査で、南西側の濠の形状が築造された時の状態をとどめていることが判明しています。
菰山塚古墳(こもやまづかこふん)

仁徳天皇陵古墳の後円部西側に位置する帆立貝形古墳(推定)です。
墳丘の現存長は33m、高さは4mである。墳丘からは円筒埴輪、形象埴輪がみつかっています。
七観音古墳(しちかんのんこふん)

履中天皇陵古墳の後円部北東側、外濠の近くに位置する円墳、履中天皇陵古墳の陪塚と考えられています。
墳丘径は32.5m、高さ3.8mです。
塚廻古墳(つかまわりこふん)

仁徳天皇陵古墳の東側外濠近傍に位置する円墳で、仁徳天皇陵古墳の陪塚と考えられています。
墳丘径は35m、高さは4.5m。発掘調査により、木棺の中から銅鏡、鉄剣、鉄刀、大量の玉類が出土しました。中でも、長さ5cmのヒスイの勾玉は、大型で希少です。
寺山南山古墳(てらやまみなみやまこふん)

履中天皇陵古墳の外濠に接して造られた方墳です。
履中天皇陵古墳と濠を共有することから、履中天皇陵古墳の付属墳と考えられています。
長方形型の古墳で、北東-南西方向が44.8m、北西-南東方向が36.3mに復元されています。
善右ヱ門山古墳(ぜんえもんやまこふん)

いたすけ古墳の濠に接して造られた方墳です。
いたすけ古墳の陪塚と考えられており、墳丘長は28mに復元されています。
銅亀山古墳(どうがめやまこふん)

仁徳天皇陵古墳の前方部西側に位置する方墳で、仁徳天皇陵古墳の陪塚とされています。
墳丘は、高さ5.4m、一辺の長さはこれまで26mとされていましたが、測量図などではそれを大きく上回るため、古墳群では最大級の方墳の可能性があります。
源右衛門山古墳(げんえもんやまこふん)

仁徳天皇陵古墳の北東外濠近傍に位置する円墳で、仁徳天皇陵古墳の陪塚とされています。
墳丘径は34m、高さ5.4mです。
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