明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼,造船,石炭産業-3
エリア-3 韮山
韮山反射炉

日本に現存する2基の反射炉のうちの1つであり、実際に大砲を鋳造した反射炉として唯一現存するものであり、実際に鋳鉄(ちゅうてつ)の溶解が行われた反射炉として世界でも唯一現存する遺構とされています。連双2基、合計4炉で構成されています。
1,840年のアヘン戦争に危機感を覚えた韮山代官・江川英龍(えがわひでたつ・一代官でありながら海防の建言を行い異例の昇進を重ね、日本に西洋砲術を広めた)の建言により1,853年に建造が決定しました。
エリア-4 釜石
橋野鉄鉱山

日本に現存する最古の洋式高炉跡です。
水戸藩の那珂湊反射炉に大砲用の鋳鉄を供給するために1,858年(安政5年)、盛岡藩士・大島高任(1,826~1,901)によって建造されました。
エリア-5 佐賀
三重津海軍所跡

佐賀藩の海軍訓練所・造船所であり、日本に現存する最古の乾船渠(ドライドック<水を抜くことができる、船を建造、修理、点検等ができる溝のような建造物。通常ドックといえばドライドックを指します>)の遺構が残っています。
1,853年に大型船の造船の禁が解かれたことを受け、佐賀藩主・鍋島直正(鍋島閑叟<かんそう>の名で知られ「肥前の妖怪」とも呼ばれた知の巨人)は、オランダに蒸気船を発注すると共に、幕府の長崎海軍伝習所に藩士を派遣し操船や造船技術の習得を図りました。
1,858年には三重津の舟屋を拡張して海軍の訓練場とし、後に乾船渠を増設して造船や修理の場としました。
1,865年には日本初の実用蒸気船「凌風丸」(全長18.2m、幅3.3m 蒸気機関10馬力の外輪船)の建造に成功しました。
日本最古のドライドック(乾船渠)

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