明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼,造船,石炭産業-2
エリア2-鹿児島
旧集成館

1,851年、薩摩藩主・島津斉彬は西欧列強へ対抗するために、現在の鹿児島市吉野町磯地区に工場群を造り、軍事強化と産業育成を図りました。
その事業は製鉄・造船・紡績など幅広い範囲に及びました。薩英戦争(1,863年)や西南戦争(1,877年)で被害を被り、その都度再建されましたが1,915年に廃止されました。
旧集成館の構成資産には旧集成館反射炉跡・旧集成館機械化工場・旧鹿児島紡績所技師館が含まれます。
旧集成館反射炉跡


旧集成館機械工場

旧鹿児島紡績所技師館

寺山炭窯跡

島津斉彬の富国強兵策【集成館事業】という近代化事業において大量の木炭を必要としました。これは薩摩藩の領国では石炭を産出しないためです。
斉彬は供給不足に備え、熱効率の良い白炭を製造する炭窯(すみがま)を設置することにしました。
藩士を紀伊藩へ製炭技術を学ばせるために派遣し、1,858年に造られたのが寺山炭窯です。
関吉の疎水溝(せきよしのそすいこう)


斉彬の【集成館事業】の動力源とするために造られた水車動力用の水路です。
長さは8kmとも6.5kmとも7kmともされていますが、市街地造成や災害の影響により、途中で途絶えており現存する長さは約3kmです。一部は現在でも農業用用水路として使用されています。
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