富士山―信仰の対象と芸術の源泉ー1

標高3,776mの秀麗かつ厳かな見た目で、静岡県と山梨県にまたがる、日本最高峰・富士山。
その裾野は駿河湾の海浜にまで及び、その高さは世界でも有数であり、見た目の美しさと、古くから繰り返された噴火によって、日本人から【霊峰】と畏敬を集め、世界的にも極めて有名な山です。
まさに日本の象徴ともいえる富士山は、古来より信仰の対象となってきました。
また、葛飾北斎の富岳三十六景などに代表されるように、芸術の対象として日本国内に留まらず、国際的にも大きな影響を与えました。
富士山域

富士山域は【馬返】より上の標高(約1,500m)以上の区域に当たります。5合目付近の標高2,500mより上の区域は、人間にとっての他界(死後の世界)または神聖な区域と捉えられ、8合目より上(標高3,200~3,375m以上)の区域は、山頂の噴火口の底部に浅間大神が鎮座するとの考えに基づき、その底部と同じ高さの8合目より上の区域が最も神聖性が高いとされており、1779年以降、富士山本宮浅間大社の境内地であるとされてきました。
富士山域には、富士山の『信仰の対象』及び『芸術の源泉』の両側面から顕著な普遍的価値を表す9つの構成要素が含まれます。
1・山頂の信仰遺跡群
2・大宮・村山口登山道
3・須山口登山道
4・須走口登山道
5・吉田口登山道
6・北口本宮冨士浅間神社
7・西湖
8・精進湖
9・本栖湖
富士山本宮浅間大社(ふじさんほんぐうせんげんたいしゃ)


富士山を神体山として祀る神社であり、式内社(明神大社)、駿河国一宮(一宮=地域で最も社格が高い神社)で浅間神社の総本社です。
富士山南麓に本宮、山頂に奥宮の二宮から成ります。境内は広大で、本宮社地・約17,000㎡、山頂に約385万㎡の社地を保有しています。
本宮社殿は徳川家康による造営で、国の重要文化財に指定されており、本宮境内には富士山の湧水が湧き出す「湧玉池」があり、国の特別天然記念物に指定されています。
山宮浅間神社(やまみやせんげんじんじゃ)


『富士本宮浅間社記』によれば、806年に平城天皇の命により坂上田村麻呂が山宮浅間神社の地から富士山本宮浅間大社の位置に遷座したとあり、浅間大社の創建以前に最初に奉斎された場所と伝わります。
浅間大社への遷座以前の伝承も述べており、垂仁天皇(すいにんてんのう・第11代天皇)の3年の時に富士山麓の山足の地に祀られていたとあり、後の景行天皇(けいこうてんのう・第12代天皇)の時代、日本武尊(ヤマトタケル)が東国遠征の途中、駿河国で賊徒の襲撃に会い、富士の神に祈念して窮地を脱することに成功しました。日本武尊はその神の恩恵から富士大神を祀ることとし、当地に磐境が設けられ祀られることとなったといいます。
村山浅間神社


主祭神は木花開耶姫(コノハナサクヤビメ)
配神
・木花開耶姫(コノハナサクヤビメ 中座)
・大山祗命(オオヤマツミノミコト 左座)
・彦火火出見命(ヒコホホデノミコト 左座)
・瓊々杵命(ニニギノミコト 左座)
・天照大神(アマテラスオオカミ 右座)
・伊弉諾尊(イザナギノミコト 右座)
・伊弉冉尊(イザナミノミコト 右座)孝昭天皇(こうしょうてんのう 第5代天皇)の2年に中腹の水精ケ岳に創建され、中世には修験の霊山として、修験者の信仰の中心となり、戦国時代には駿河を領有した今川氏からも深く崇敬されました。
豊臣秀吉によって天下統一が成されると、神領75石を安堵され、江戸時代には将軍家から94石5斗の朱印領が寄せられ、大名や旗本といった武家や、公家からも寄進を受け、その勢いは浅間本宮大社と拮抗するほどでした。
須山浅間神社


祭神は木花咲耶姫、天津彦穂ニニギ命(ニニギノミコト)、大山祇命(オオヤマツミノミコト)
日本武尊(ヤマトタケル)の東征の折に建造されたと伝えられており、現在の社殿は1,823年に再建されたものです。
社伝では、神代あるいは景行天皇の40年(110年)に創建されたと伝わっていますが、遅くとも1,524年には存在していたことが確認されています。
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