平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群―

【毛越寺-浄土庭園】 画像引用元:wikimedia commons クリエイティブ・コモンズ 表示-継承4.0インターナショナル 著作者:663highland 

日本の東北地方、岩手県南西部に位置する平泉。平安時代末期にこの地域一帯を支配し大いに栄えた奥州藤原氏の時代の寺院や遺跡群が数多く残っています。

奥州藤原氏は、仏教に基づく理想社会の実現を目指して、都市造りを進めました。

浄土思想とは、阿弥陀如来を信仰し、西方極楽浄土に往生することを目指す思想であり、藤原氏の初代清衡は、相次ぐ戦乱の犠牲者たちが、敵味方の区別なく極楽浄土へ往生できるようにと、中尊寺を建立しました。

中尊寺

【中尊寺-本堂】 画像引用元:wikimedia commons クリエイティブ・コモンズ 表示-継承 3.0 非移植 著作権者:Tak1701d

岩手県西磐井郡平泉町にある寺院であり、天台宗東北大本山。本尊は釈迦如来、開山(初代住職)は円仁、開基は藤原清衡です。

奥州藤原氏三代にゆかりの深い寺であり、藤原氏三代、初代・清衡、二代・基衡、三代・秀衡の遺体(ミイラ)、さらに四代・泰衡の首級が金色堂に安置(または納置)されていることで有名です。

平安時代の美術・工芸・建築の粋を集めた、その金色堂をはじめ、多くの文化財を有しています。

藤原氏の滅亡後は源頼朝の庇護を受け、江戸時代には伊達氏の庇護を受け堂宇の補修・建立が行われましたが、松尾芭蕉が荒廃ぶりを嘆いたのは有名です。

1909年に本堂が再建され、1962~1968年に金色堂が解体修理され、創建当時の輝きを取り戻しました。

毛越寺(もうつうじ)

【遺水】 画像引用元:wikimedia commons クリエイティブ・コモンズ 表示-継承4.0インターナショナル 著作者:663highland

岩手県西磐井郡平泉町にある天台宗の寺院。本尊は薬師如来立像(平安時代後期の作・脇侍は日光菩薩、月光菩薩)です。

境内は「毛越寺境内 附 鎮守社跡」(もうつうじけいだい つけたり ちんじゅしゃあと)として国の特別史跡に指定されており、庭園は「毛越寺庭園」(もうつうじていえん)として特別名勝に指定されています。

850年、中尊寺と時を同じくして創建され、その後大火によって焼失し荒廃していましたが、藤原氏の二代・基衡夫妻、さらに三代・秀衡によって再建されました。

歴史書「吾妻鏡」によると、「堂塔四十余宇、禅房五百余宇」があり、円隆寺と号せられる金堂・講堂・常行堂・二階惣門・鐘楼・経蔵があり、嘉祥寺その他の堂宇もあって、当時は中尊寺をしのぐ規模であったといいます。

鎌倉時代の火災や、戦国時代の兵火によって長年にわたり荒廃していましたが、明治時代後半に新しい本堂や庫裏を南大門の外側に建てられ、1922年には「毛越寺境内 附 鎮守社跡(もうつうじけいだい つけたり ちんじゅしゃあと)」として史跡に指定されました。

2024年には、かつて毛越寺の本堂であった金堂円隆寺の西側にある三代・秀衡の遺構・嘉祥寺跡から新たに玉石という石が敷かれた基壇(建物を建てるために土を盛り、周囲を固めたもの)が発見されました。

観自在王院跡

【観自在王院跡-舞鶴が池】 画像引用元:wikimedia commons クリエイティブ・コモンズ 表示-継承4.0インターナショナル 著作者:663highland

藤原氏二代・基衡の妻が建立した寺院の跡です。「毛越寺境内 附 鎮守社跡(もうつうじけいだい つけたり ちんじゅしゃあと)」の一部として国の特別史跡であり、庭園は「旧観自在王院庭園」(きゅうかんじざいおういんていえん)として国の名勝にしてされています。

1189年以降は荒廃し、水田となっていましたが昭和48年~昭和51年にかけて発掘・復元され、数少ない平安時代の庭園遺構として評価されています。

無量光院跡

【無量光院跡】 画像引用元:wikimedia commons クリエイティブ・コモンズ 表示-継承4.0インターナショナル 著作者:663highland

無量光院は奥州藤原三代・秀衡が京都の平等院を模して建立した寺院でした。

当時は平等院の規模を上回る規模と煌びやかさでしたが、度重なる火災によって焼失してしまい、現在では土塁や礎石が残るのみです。跡地は「無量光院跡」として国の特別史跡に指定されています。

1952年の発掘調査により、本堂や庭園の規模・配置が明らかとなり、吾妻鏡の記述が裏付けされ、2012年からは池と中島の復元がすすめられています。

金鶏山(きんけいざん)

【金鶏山-無量光院跡より望む】 画像引用元:wikimedia commons クリエイティブ・コモンズ 表示-継承4.0インターナショナル 著作者:663highland

中尊寺と毛越寺のほぼ中間に位置し、藤原氏が造った都市【平泉】の空間設計の基準となった信仰の山です。

奥州藤原氏三代の秀衡が一晩で築かせたという伝説が残っており、名の由来は山頂に雌雄一対の金の鶏を埋めたことにちなむと伝えられています。

1930年に金の鶏を目当てとする盗掘をされており、その際、経塚(経典を土中に埋納した塚)であることを示す銅製経筒や陶器、壺、甕(かめ)などが掘り出されています。

麓には藤原三代の位牌、秀衡の木像などが安置されている千手堂、源義経夫妻の墓と伝えられる五輪塔などがあります。

世界遺産登録

平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群― は

(ii)建築、科学技術、記念碑、都市計画、景観設計の発展に重要な影響を与えた、ある期間にわたる価値観の交流又はある文化圏内での価値観の交流を示すものである。

(vi)顕著な普遍的価値を有する出来事(行事)、生きた伝統、思想、信仰、芸術的作品、あるいは文学的作品と直接または実質的関連がある(この基準は他の基準とあわせて用いられることが望ましい)。

上記の基準を満たしているとして、2011年にユネスコ世界遺産へ登録されました。


Comments

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です