石見銀山遺跡とその文化的景観


石見銀山は、石見国東部。現在の島根県太田市にある日本最大の銀山です。
戦国時代後期から江戸時代前期にかけて最盛期を迎えました。
当時日本は、世界の銀の三分の一を産出したとも推定され、石見銀山がそのかなりの部分を占めたとされています。
大森銀山ともよ呼ばれ、江戸時代には佐摩銀山(さまぎんざん)とも呼ばれていました。
一般的に銀山開発には銀精錬のために大量の薪炭用木材が必要とされますが、石見銀山では適切な森林管理により、環境への負荷の少ない開発がなされ、今日に至るまで銀山一帯には森林が残されている点が、世界遺産登録時に際して特に評価されています。
龍源寺間歩(入口)
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龍源寺間歩内部


石見銀山遺跡とその文化的景観の構成資産
・銀山柵内
・代官所跡
・矢滝城跡(やたきじょうあと)
・矢筈城跡(やはぎじょうあと)
・石見城跡
・大森・銀山
・宮ノ前
・熊谷家住宅
・羅漢寺五百羅漢(らかんじごひゃくらかん)
・石見銀山街道鞆ケ浦道(いわみぎんざんかいどうともがうら)
・石見銀山街道温泉津・沖泊道(いわみぎんざんかいどうゆのつ・おきどまりどう)
・鞆ケ浦(ともがうら)
・沖泊(おきどまり)
・温泉津(ゆのつ)
代官所(旧大森代官所跡)


羅漢寺五百羅漢


世界遺産登録
石見銀山遺跡とその文化的景観は
(ii)建築、科学技術、記念碑、都市計画、景観設計の発展に重要な影響を与えた、ある期間にわたる価値観の交流又はある文化圏内での価値観の交流を示すものである。
(iii)現存するか消滅しているかにかかわらず、ある文化的伝統又は文明の存在を伝承する物証として無二の存在(少なくとも希有な存在)である。
(v)あるひとつの文化(または複数の文化)を特徴づけるような伝統的居住形態若しくは陸上・海上の土地利用形態を代表する顕著な見本である。又は、人類と環境とのふれあいを代表する顕著な見本である(特に不可逆的な変化によりその存続が危ぶまれているもの)
上記の基準を満たしたとして、2007年にユネスコ世界遺産へ登録されました。(2010年に軽微な変更)
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