紀伊山地の霊場と参詣道-3

那智大滝

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和歌山県東牟婁郡那智勝浦町の那智川中流にかかる滝。

ほぼ垂直の断崖に沿って落下し、落ち口の幅13m、滝壺までの落差は133mに達し、華厳の滝、袋田の滝と共に日本三名瀑に数えられています。

那智の滝といえば、一般的には上記の画像の滝(一の滝)を思い浮かべると思いますが、那智原始林には60に及ぶ多くの滝があり、そのうち瀧篭修行の行場として扱われた48の滝、那智四十八滝の総称を「那智の滝」と元来は言います。

その「那智の滝」を代表する存在として、一の滝は那智大滝と呼ばれています。

那智原始林

画像引用元:PhotoAC

那智大社の社有林で、那智大滝の東に広がる原始林です。

暖地性の広葉樹を中心に、湿地性の広葉樹や針葉樹もあり、本州屈指の混交林となっています。

群生する植物は155種、または300種以上とも言われており、12種の希少種もあり、直径5mに及ぶ大木も存在します。

南方熊楠が標本採取を行ったことでも知られています。

補陀洛山寺(ふだらくさんじ)

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和歌山県東牟婁郡那智勝浦町にある天台宗の寺院。補陀落とはサンスクリット語で観音浄土を指す「ポータラカ」の音訳です。

仁徳天皇の治世に、インドから熊野の海岸へ漂着した裸形上人によって開山されたと伝わっています。

中世の日本では、はるか南洋に補陀落(観音浄土)があると信じられており、那智の浜からインドの南端に位置するとされている補陀落を目指して出航する宗教儀式、補陀落渡海が平安時代から江戸時代にかけて行われていました。

丹生都比売神社(にうつひめじんじゃ)

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にぶつひめじんじゃ、丹生都比賣神社とも は、和歌山県伊都郡かつらぎ町上天野にある神社・式内社(明神大社)・紀伊国一宮(地域で最も社格が高いとされる神社のこと)です。

空海が金剛峯寺を建立するにあたって、丹生都比売神社が神領を寄進したと伝えられ、古くより高野山と深い関係にある神社です。

丹生都比売神社は高野山への入り口にあたることから、高野山参拝前にはまず丹生都比売神社に参拝する習わしであったといいます。

丹生都比売神社自体も高野山からの影響を強く受け、境内には多くの仏教系の遺跡・遺物が残っています。

金剛峯寺(こんごうぶじ)

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和歌山県伊都郡高野町高野山にある、高野山真言宗の総本山寺院です。正式には高野山金剛峰寺と号します。

高野山は周囲を1,000m級の山々に囲まれた標高800mの平坦地に位置します。

100以上の寺院が密集する、日本においては他に例を見ない宗教都市です。明治以降、金剛峯寺は一寺院を指して呼ばれていますが、かつては高野山全体と同義でした。

真言宗の宗祖、弘法大使空海が修禅の道場として開創し、真言密教の聖地として今でも多くの参拝客を集めています。

空海は最澄と並ぶ、日本の仏教史上の大天才であり、半ば伝説化・神格化され、日本の仏教・芸術・文化全般に多大な影響を残しました。

日本の世界遺産⑫-4 紀伊山地の霊場と参詣道-4 へ続きます


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