琉球王国のグスク及び関連遺産群-2
園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)



沖縄県那覇市首里真和志町一丁目にある、16世紀の琉球王国・尚真王の時代の御嶽(琉球神道の祭祀を行う施設)の石門です。
首里城の歓会門と守礼門の間にあり、園比屋武御嶽の礼拝所です。
園比屋武御嶽は国王が各地を巡航する旅に出る際に必ず拝礼する場所であり、聞得大君(琉球神道における*最高神女)が就任する際に最初に最初に拝礼した、国家の聖地でした。
*最高神女=琉球神道における女性祭祀の最高位
玉陵(たまうどぅん)


沖縄県那覇市首里金城町にある、琉球王国、第二尚氏王統の歴代国王が葬られている陵墓です。
中室、東室、西室に分かれていてそれぞれ役割が違います。
まず葬儀の後、中室で遺骸が骨になるまで放置し、数年後に骨を取り出して洗骨します。
洗骨した遺骨は骨壺に収められ、王または王妃の遺骨は東室へ納められ、その他の王族の遺骨は西室へ納められました。
元々は、第3代・尚真王が父の尚円王を葬るために建築しました。
識名園(しきなえん)



沖縄県那覇市真地にある琉球庭園の一つです。
識名の御殿(しちなぬうどぅん)、または首里城の南にあることから南苑(なんえん)とも呼ばれました。
第二尚氏王統・尚穆王(1752年-1795年)の時代に造園が始まり、完成は尚温王(1784年-1802年)の時代の1799年です。
中国様式と沖縄様式の折衷様式で作られていて、完成当時は中国皇帝からの使者をもてなす迎賓館として使われていました。
「勧耕台」と称する展望台がありますが、海を望むことはできません。これは琉球をより大きな国に見せるためともいわれています。
斎場御嶽(せーふぁーうたき)


沖縄県南城市知念にある史跡です。
15世紀-16世紀の琉球王国、尚真王の時代の御嶽(琉球神道の祭祀を行う施設)とされています。
”せーふぁー”とは「最高位」を意味し、斎場御嶽とは最高の御嶽という意味で、これは通称です。正式な神名は「君ガ嶽、主ガ嶽ノイビ」といいます。
その名の通り、王国最高の御嶽とされ、最高神職の聞得大君が管理しました。聞得大君の就任儀式、「御新下り(おあらおり)」が行われた御嶽でもあります。
かつて御嶽は、その全てが男子禁制であり、斎場御嶽では庶民は入口の御門口(うじょーぐち)を越えることは許されず、国王ですら、御門口より先に入るには袂の合わせを女装に改める必要があったといいいます。
世界遺産登録
琉球王国のグスク及び関連遺産群は
(ii)建築、科学技術、記念碑、都
12月に市計画、景観設計の発展に重要な影響を与えた、ある期間にわたる価値観の交流又はある文化圏内での価値観の交流を示すものである。
(iii)現存するか消滅しているかにかかわらず、ある文化的伝統又は文明の存在を伝承する物証として無二の存在(少なくとも希有な存在)である。
(vi)顕著な普遍的価値を有する出来事(行事)、生きた伝統、思想、信仰、芸術的作品、あるいは文学的作品と直接または実質的関連がある(この基準は他の基準とあわせて用いられることが望ましい)。
上記の基準を満たしているとして、2000年12月にユネスコ世界遺産へ登録されました。
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