6:白川郷・五箇山の合掌造り集落


白川郷・五箇山の合掌造り集落は、飛騨地方の白川郷と五箇山にある合掌造り(江戸中期以降に始まった両手を合掌したような急勾配の茅葺き屋根を持つ住宅)の集落群です。
いずれの集落も飛騨地方を流れる庄川地域の地名であり、白川郷が上流域、五箇山が中流域にあります。
この地域は修験者や平家の落人伝説との結びつきが強いことでも知られています。
雪の合掌造り集落

江戸時代の白川郷は高山藩領と浄土真宗照蓮寺領となり、前者は後に天領(幕府の直轄領)となりました。
一方の五箇山は加賀藩領となり、硝石作りが保護されました。硝石は火薬の原料である硝酸カリウムで、五箇山では雑草と蚕の糞を利用して抽出する培養法で生産していました。
五箇山は流刑地としても使われた程の陸の孤島であり、材料の調達や秘伝の漏洩を防ぐという2つの意味で適していました。反面稲作には不向きで、養蚕と共に発達した家内工業が硝石作りでした。
合掌造りは、そうした家内工業の発展にあわせて、大型化、多層化していったと考えられています。尚、合掌造りが広まる以前の住居形式については、まだはっきりとは判明していません。
合掌造りという呼び名はそれ程古いものではなく、1930年(昭和5年)頃にフィールドワークを行った研究者らによって使われ始めたと推測されています。
合掌造りの屋根裏-釘が使われていない


合掌造りの屋根組みは釘は1本も使わず、上部な縄で固定します。これは、雪の重さや風の強さに対する柔軟性を生み、家の耐久性を増す工夫であると言われています。
尚、床板などの固定には釘は使われています。
白川郷の合掌造り屋根はどれも妻(頂上部の棟から本をかぶせたような形状の屋根)を南北に向けています。
これは3つの効果を期待するためと言われており、その3つとは
・屋根に万遍なく日光が当たるようにするため(融雪と乾燥を促進するため)
・集落は南北に細い谷にあり、南北より吹く強風に当たる面積を減らすため
・夏場には屋根裏部屋の窓を開け南北の風が家を吹き抜けることで、蚕が暑さにやられないようにするため
です。
かつての白川郷や五箇山は、限られた狭い耕作地が分散してしまうのを防ぐために、一家のうち結婚できるのは長男だけでした。
そのために1つの家屋に、家長の家族だけではなく、嫡流、傍系にあたる親族、その使用人。全てが力を合わせ協力しあって暮らしていました。
それが合掌造りの多層化と床面積の広さに結びつきました。
世界遺産登録
(iv)
歴史上の重要な段階を物語る建築物、その集合体、科学技術の集合体、あるいは景観を代表する顕著な見本である。
(v)
あるひとつの文化(または複数の文化)を特徴づけるような伝統的居住形態若しくは陸上・海上の土地利用形態を代表する顕著な見本である。又は、人類と環境とのふれあいを代表する顕著な見本である(特に不可逆的な変化によりその存続が危ぶまれているもの)上記した2つの基準を満たしているとして
1995年にユネスコ世界遺産へと登録されました。
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