5:古都京都の文化財(京都市、宇治市、大津市)

京都は794年の遷都から1868年の1000年以上に渡り、歴代の天皇がおわした王城の地、日本の首都でした。

武家政権(鎌倉幕府、徳川幕府)によって政治の中心地が鎌倉と江戸(現在の東京)に移った時期以外は、文化、経済、政治の中心として繁栄しました。

京都は三方を丘陵にかこまれた盆地という地理的特製を活かして造られた都市です。

天皇のおわす京都を押さえた者が天下人に一番近づくということもあり、しばしば兵火に見舞われ、火災によって多くの建築物が失われ、再興することを繰り返してきました。

しかし、災禍を免れた山麓部には大寺院や庭園、山荘等が

平地部にも大規模な文化的建造物や、伝統的様式の街並み等が、現在までその姿を残しています。

構成資産

・賀茂別雷神社(上賀茂神社)

・賀茂御祖神社(下鴨神社)

・教王護国寺

・清水寺

・延暦寺

・醍醐寺

・仁和寺

・平等院

・宇治上神社

・高山寺

・西芳寺

・天龍寺

・鹿苑寺(金閣寺)

・慈照寺(銀閣寺)

・龍安寺

・本願寺(西本願寺)

・二条城

賀茂別雷神社(上賀茂神社)

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京都最古の歴史を有する一社であり、かつてこの地を支配していた古代氏族である賀茂氏の氏神を祀る神社として賀茂御祖神社(下鴨神社)と共に賀茂神社として総称されています。

賀茂神社は奈良時代には強大な勢力を誇っており、平安京遷都後は皇城の鎮護社として京都という都市の形成に深く関わってきました。

現在は神社本庁の別表神社となっています。

賀茂御祖神社(下鴨神社)

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賀茂別雷神社(上賀茂神社)と共に賀茂氏の氏神を祀る神社です。合わせて賀茂神社と総称されます。

本殿には、右に賀茂別雷命(上賀茂神社祭神)の母の玉依姫命、左に玉依姫命の父の賀茂建角身命を祀るため「賀茂御祖神社」と呼ばれています。

金鵄(きんし は、日本書紀に登場し神武天皇による建国を導いた金色の鵄{トビ})および八咫烏(日本神話に登場する三本足の烏。神武天皇東征の際、熊野国から大和国まで道案内したと言われています)は賀茂建角身命の化身です。

教王護国寺

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東寺」、「教王護国寺」2つの名称があり、さらに正式名として「金光明四天王教王護国寺秘密伝法院」と「弥勒八幡山総持普賢院」の2つの名称があります。

宗教法人としての登録名は【教王護国寺】です。

教王とは、王を教化する。という意味であり、教王護国寺という名称には、鎮護国家の密教寺院という意味合いが込められています。

東寺という名も単なる通称・俗称ではなく、創建当時から使用されてきた歴史的名称です。

平安時代以降近世まで、公式の文書、記録等には原則として「東寺」という表記が用いられ、東寺が正式名称であり

教王護国寺という呼称は特殊な場合以外には用いられていませんでした。

清水寺

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清水寺は法相宗系の寺院で、広隆寺、鞍馬寺ととも、平安京遷都以前からの歴史をもつ京都では数少ない寺院のひとつです。

石山寺(滋賀県)、長谷寺(奈良県)などと並んで、日本でも有数の観音霊場です。

鹿苑寺(金閣寺)、嵐山などと並んで京都でも有数の観光名所でもあります。

延暦寺

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平安時代初期に最澄(空海と並んで2大天才とされる日本の僧侶)によって開かれた日本天台宗の本山で、正式には比叡山延暦寺です。

住職は天台座主(てんだいざす)と呼ばれ、末寺を統括します。

比叡山、または叡山とも呼ばれています。

最澄の開創以来、空海の高野山金剛峯寺と並んで平安仏教の中心寺院であり、皇室や貴族の尊崇を得て大きな力を持ちました。

延暦寺は単独の堂宇の名称ではなく、150ほどの堂宇の総称です。最盛期は3000を超える寺社で構成されていたと伝えられています。

醍醐寺

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貞観16年(874年)、空海(弘法大師)の孫弟子にあたる聖宝(理源大師)が准胝観音(じゅんていかんのん)、如意輪観音(のいりんかんのん)を笠取頂上に向かえて開山し、聖宝は山頂付近を醍醐山と命名しまし、貞観18年(876年)に聖宝によって准胝堂と如意輪堂が建立されました。

醍醐寺は多くの修験者の霊場として発展し、後に醍醐天皇が醍醐寺を自らの祈願寺とし、手厚い庇護を与えました。

その圧倒的財力によって、薬師堂、釈迦堂(金堂)が建立され、醍醐山麓の広大な平地に大伽藍「下醍醐」が成立し、発展しました。

歴代座主が理性院、三宝院、金剛王院、無量光院、報恩院の醍醐五門跡からえらばれるなど大いに栄えました。

⑤-2に続きます


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