2024年に新規登録された世界遺産⑯

16:ゲディ歴史都市と考古学的遺跡

大モスク跡

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ゲディ遺跡は、ケニア東部のインド洋沿岸近く、キリフィ県のゲディの町に隣接するアラブコ・ソコケの森の中にあります。

ゲディは、ソマリアのパラワからモザンピークのザンベジ川まで広がる、数多くのスワヒリ沿岸集落のひとつであり

ソマリア南部からケニア・タンザニア国境のブンバ・クーまでには、このような集落が116程存在しています。

発見と発掘ー歴史

ゲディ遺跡ー宮殿跡

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ゲディ遺跡は地元のミジケンダ族には知られた存在であり、彼らはゲディ遺跡周辺に大規模なコミュニティを形成しこの遺跡を神聖な場所とみなしています。

この地域でのイスラム教の影響にもかかわらず、この遺跡には恐ろしい先祖の霊が宿っていると考えており、遺跡に危害を加える者を呪うと考えられています。

現在のケニアが英連邦加盟国であることが示すように発見された時はイギリスの植民地でした。

1884年、イギリスの植民地主義者によって発見され、1920年に再発見されるまで、世界的には知られない存在でした。

1940年代後半になるとゲディ遺跡での発掘が始まり、今日でも最も熱心に研究されているスワヒリ遺跡のひとつです。

初期の考古学研究

1948年に発掘調査が始まり、1960年代~1980年代にかけて断続的に行われました。

1954年に、記事冒頭の画像、大モスクが発掘され、1963年には宮殿が発掘されました。

その後周辺の116の遺跡も調査され、ゲディ遺跡は中でも最も人口密度の高い中心地であったことが分かりました。

ゲディ遺跡居住の歴史

遺跡の年代特定に使用されたアラビア語の碑文が刻まれた石碑

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ゲディでの定住の最も古い証拠は、1041年~1278年の放射性炭素年代測定された石の墓標であり

それによって、最初の定住は11世紀または12世紀初頭であったとされています。

その後最盛期には、およそ2,500人の住民を抱える都市に発展したと考えられています。

ゲディは内壁と外壁を備え、外壁45エーカー(18ヘクタール)、内壁18エーカー(7.3ヘクタール)の広さをもち

内壁の内側には、宮殿、2つのモスク、4つの大きな住居、いくつかの密集した住居、そして町の中心部を構成する、4つの大きな柱をもった墓があります。

外壁の外側にも、1つのモスク、いくつかの未確認の建造物があります。

ゲディは内壁と外壁で区切られていて、内壁の内側の主要部分。内壁と外壁の間、そして外壁の外側の居住エリアで形成されていてます。

生活インフラも整備されていました、雨水を溜める貯水槽や、各住居にトイレがあります。

貿易で栄えたゲディですが、外敵による襲撃や水不足などの要因が重なり、16~17世紀に放棄されました。

ゲディ中心部に位置する柱墓

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物質文化と経済

ゲディ遺跡からは数多くの遺物が発見されていますが、中でも多いのはビーズと陶磁器です。

これらは居住年代の特定や交易路の特定に役立ちました。

ベネチアンビーズ、タカラガイ、鉄製のランプ、鉄製の箱 などが見つかっていて

陶器の様式も多様性に富んでおり、ゲディが関与したインド洋貿易の重要性が分かります。

ゲディで使用されていた通貨についてはタカラガイが主要通貨だったのではないか。という説と、ビーズが通貨として使われていたという説があります。

タカラガイは各家屋の貯蔵庫から発見されており、鋳造硬貨よりも大量に発見されていることが根拠です。

タカラガイはアフリカ各地でも歴史的に紙幣として使用されていたことから裏付けられています。

ビーズについては、上層地層から発見されたビーズの数が少ないこと。

これは15世紀にビーズの価値が低下したことを反映していという主張です。

世界遺産登録

(ii)建築、科学技術、記念碑、都市計画、景観設計の発展に重要な影響を与えた、ある期間にわたる価値観の交流又はある文化圏内での価値観の交流を示すものである。

(iii)現存するか消滅しているかにかかわらず、ある文化的伝統又は文明の存在を伝承する物証として無二の存在(少なくとも希有な存在)である。

(iv)歴史上の重要な段階を物語る建築物、その集合体、科学技術の集合体、あるいは景観を代表する顕著な見本である。

上記の基準を満たしているとして

2024年にユネスコ世界遺産へ登録されました。


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