12:ヘグマタネ/エクバターナ


古代都市であり、メディア王国の首都であり、後にアケメネス朝とパルティア帝国の夏の首都となったエクバターナは、イラン史上最古の首都です。
更に、セレウコス朝とササン朝でも重要な都市でした。
エクバターナは中央メソポタミアの東、ザグロス山脈のヘグマタネ丘陵にあると考えられています。
エクバターナの歴史
紀元前550年、キュロス大王はアステュアゲスを破り、エクバターナを征服しアケメネス朝を建国しました。
交通の要衝にあるエクバターナにアケメネス朝の支配者たちは定住しました。
この都市はアケメネス朝の夏の首都および宝物庫となり、王室の文書保管所としても使われていました。
エクバターナは貯め込まれた富と素晴らしい建築物で知られていました。
紀元前330年、アレクサンダーのペルシア侵攻の際に、エクバターナは廃墟となりました。
時のペルシア王、ダレイオス3世は紀元前330年7月のクーデターによって殺害され
首都ペルセポリスも、エクバターナに遅れること数週間でアレクサンダーによって征服され、破壊されました。
こうしてアケメネス朝は終焉を迎えました。
エクバターナで発見された「金の雄羊の頭のリュトン」
レザ・アッバシ博物館保管

著作者:Hosseinronaghi

エクバターナ-その後の歴史
アレクサンダーに占領され、宝物庫をことごとく略奪されたエクバターナは
その後紀元前305年に、アレクサンダーの後継者であるセレウコス1世によって統治されセレウコス朝の重要都市となりました。
しかし、紀元前129年。再びエクバターナの所有者が代わります。
フラテス2世率いるパルティア軍に攻められたセレウコス軍はエクバターナの戦いに敗れ
エクバターナはパルティア帝国の夏の首都となりました。
交通の要所であるエクバターナは、パルティア帝国でも、繁栄し、栄華を欲しいままにしました。
造幣局が置かれ、馬と小麦の産地としても知られ、
金、プラチナ、鉄といった様々な鉱石。
更には、石油といった産物についても言及されています。
エクバターナとパルティア帝国の蜜月は、紀元前247年 ~紀元後224年のおよそ470年に及びましたが
紀元後226年、ササン朝によって征服され、またもその所有者が代わったのでした。
その後のエクバターナは642年のナハヴァンドの戦いの後、イスラム教徒の手に落ち
1220年頃にはモンゴル軍に蹂躙され徹底的に破壊され
1386年にはティムールに略奪されました。
エクバターナは交通の要衝といった地的優位性ゆえにあらゆる王朝から求愛され、奪い合われてきたのです。
アケメナス朝時代の楔形文字の碑文
エクバターナ博物館保管

著作者:Carole Raddato from Frankfurt, Germany

ヌーシジャン火の神殿

エクバターナの近くにある、ヌーシジャン火の神殿は、世界最古の火神殿であり世界で最も重要な火神殿のひとつです。
た、世界最古の日干しレンガの神殿でもあります。
発掘調査によって、3つの階層で3つの歴史的時期が特定されました。
3階はパルティア帝国、2階はアケメネス朝、1階はメディア人のものとなっています。
紀元前8世紀後半~紀元前6世紀前半にかけて、メディア人の最も重要な火神殿であり
現在ではメディア人の時代に残された最も重要な建造物の一つとなっています。
世界遺産登録
(ii)建築、科学技術、記念碑、都市計画、景観設計の発展に重要な影響を与えた、ある期間にわたる価値観の交流又はある文化圏内での価値観の交流を示すものである。
(iii)現存するか消滅しているかにかかわらず、ある文化的伝統又は文明の存在を伝承する物証として無二の存在(少なくとも希有な存在)である。
上記の基準を満たし
2024年にユネスコ世界遺産に登録されました。
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