9:ローマ帝国の国境線(ダキア)

ローマ領、ダキア
ラテン語で「トラヤヌスのダキア」または「ダキア・フェリクス(肥沃なダキア)」と呼ばれたこの地は
西暦106年から271年、または275年までローマ帝国の属州でした。
大部分が現在のルーマニアに属しており、バナトのみがルーマニア、ハンガリー、セルビアに分割されています。
バナトの他にはオルテニア、そして吸血鬼ドラキュラ発祥の地、トランシルヴァニアの3つの地域から成っています。
ローマ帝国の国境線

当時、広大な領土を支配していたローマ帝国は、外的の侵入を防ぐために、各地の国境に防壁を築いていました。
上記画像のハドリアヌスの長城はイングランド北部のスコットランドとの国境で北方諸部族に対していました。
ドイツにはリメスと呼ばれる長城、砦、物見櫓で構成される防衛システムを構築し、ゲルマン民族の侵入に対処していました。
余談ですが、各地のローマ帝国の国境線はそれぞれ世界遺産に登録されています。
ルーマニアのリメス
ローマ領ダキアでも同様に、数多くの砦や要塞や物見櫓がありました。
ルーマニア全土に100に及ぶ砦、50もの要塞、150以上の物見櫓があったとされていますが、残存しているのは5箇所程度です。
構成遺産としては277箇所となっていますが、そのほとんどが保存状態に難があり、
建材は教会や城、家などに使用されてしまっており、農地にあるものなどは喪失の危険に晒されています。
サルミゼゲトゥサ


古代ダキア人の政治・軍事・宗教の上で最も重要な古代都市でした。
1200メートルの高地に建設され、狭隘なオラシュチエ山脈の立地を生かした6箇所からなる要塞群の一つであり戦術的な防衛システムが構築されていました。
尚、他5カ所は、ブリダル、ピアトラ・ロシエ、コステシュティ、カプルナ、バニツァ です。
101年より、ローマ軍とダキア軍にの間にダキア戦争が始まり
106年の第2次侵攻によってサルミゼゲトゥザは陥落し、ダキア全土がローマ帝国の属州となりました。
世界遺産登録
ローマ帝国の国境線-ダキア は
(ii)建築、科学技術、記念碑、都市計画、景観設計の発展に重要な影響を与えた、ある期間にわたる価値観の交流又はある文化圏内での価値観の交流を示すものである。
(iii)現存するか消滅しているかにかかわらず、ある文化的伝統又は文明の存在を伝承する物証として無二の存在(少なくとも希有な存在)である。
(iv)歴史上の重要な段階を物語る建築物、その集合体、科学技術の集合体、あるいは景観を代表する顕著な見本である。
上記3つの基準を満たし
2024年にユネスコ世界遺産に登録されました。
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