2024年に新規登録された世界遺産⑦

7:アッピア街道(街道の女王)

クリエイティブ・コモンズ 表示 – 継承 3.0 非移植 Photographer: Lora Beebe

現存するローマ街道の中で最も有名なもののひとつです。

1784年に新しいアッピア街道が平行して敷設されたことにより「アッピア旧街道」とも呼ばれています。

【街道の女王】の異名を持ちます。

歴史

紀元前312年、古代ローマのケンソル(監察官・高位政務官職のひとつ)であった、アッピウス・クラウディウス・カエクスの要請により

元老院の反対の中、ローマとアルパーノ丘陵を結んでいた街道の拡大、改修が始まりました。

紀元前190年、当初の予定であったカープアからウェヌシアまで延長され

その後さらにタレントゥムとブルンディシウムまで延長されました。

画像引用元:wikipedia cmmons この画像はパブリックドメインです

アッピア水道建設

アッピア水道橋 画像:PhotoAC

アッピウス・クラウディウス・カエクスは、アッピア街道と同じく紀元前312年から

ローマ初の上水道である、アッピア水道も造り始めました。

水道の全長は16.6kmに及び、そのうち16.5kmは地下の導水渠であり

残りが地上の構造物内を通っていました。

ローマ市街に入ってからは水道橋となっていました。

水量は73,000m3/日 でした。

第三次奴隷戦争-スパルタクスの反乱

紀元前71年、約6000人の奴隷がスパルタクスに率いられ反乱を起こしました。

ローマ軍と剣闘士・奴隷による戦争であり、3度の奴隷戦争で最後にして最大規模のものでした。

マルクス・リキニウス・クラッススによって反乱は鎮圧され

逮捕された反乱者たちはアッピア街道沿いに十字架に磔にされ

その十字架の列はポンペイまで続きました。

サン・セバスティアーノ門

画像引用元:wikipedia commons この画像はパブリックドメインです

古代ローマ時代の城壁、アウレリアヌス城壁に設けられた城門。

アウレリアヌス城壁にある門の中で最大の規模を誇り、現在でも最も良い状態で保存されている門です。

古代ローマ時代にはアッピア門と呼ばれており

中世になると近隣を流れる川の名にちなんでアキア門と呼ばれるようになりました。

1434年に書かれた文献によれば近くの教会にちなんでドミネ・クォ・ヴァディス門と呼ばれていたようです。

15世紀になると、近隣のサン・セバスティアーノ教会にちなんでサン・セバスティアーノ門と呼ばれるようになり、現在に至ります。

マイルストーン

第1マイルストーン 画像引用元:wikipedia commons この画像はパブリックドメインです

紀元前123年頃のセンプロニウス諸法のうち、道路関連法に基づいて

古代ローマでは主要な街道には1ローママイル(1000歩)ごとに、マイルストーンが設置されていました。

アッピア街道には現在でも、フォロ・ロマーノを起点にマイルストーンが残っています。

第1マイルストーン

サン・セバスティアーノ門の少し先、イタリア国鉄の線路の手前に第1マイルストーンがありますが

これはレプリカであり、本物の第1マイルストーンはカンピドリオ広場にあります。

ですが、第1マイルストーンの設置場所は現在の場所ではなく、アッピア門のところであった。とする説もあります。

世界遺産登録

  • (3) 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠。
  • (4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。
  • (6) 顕著で普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰または芸術的、文学的作品と直接にまたは明白に関連するもの(この基準は他の基準と組み合わせて用いるのが望ましいと世界遺産委員会は考えている)。

上記の基準を満たし

2024年にユネスコ世界遺産に登録されました。


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